好調な邦画
(2007.02.12)
最近の邦画は興行成績が好調だそうだ。去年は洋画を20数年ぶりに上回ったらしい。まあ、それを邦画が面白くなったというような単純な解釈で片付けることはできないだろう。この件については100人映画ファンがいれば100通りの見解があると思うので、ここではしない。
それにしても、そんな邦画バブルの余勢を買ってか、暴露本の作者がそのまま映画監督になって映画を作るそうである。映画界もずいぶんとなめられたものだ。もっとも、節操が無いのはそんな勢いのある人物に群がる映画人たちである。彼らには映画屋の誇りがないのだろうか?
話はちょっと変るけど、昨今の邦画でちょっと気になることがある。それは昔から物語には必ずといっていいほどつきものの因果応報という風習が薄れてきてるんじゃないかということ。
例えば、主人公は悪い癖を持っているのだが、それがキッカケである人を助けることになる。で、その悪癖が助けた人にバレてしまったのだが、許されて何のおとがめもなし、アンハッピーにはならないという類のものである。
これから公開される中でもいくつか、そういうものがあって、僕も試写で観たので、そう感じているのだが(たまたま、複数の映画がそうであったというだけのものかもしれないが)、これってどうなんだろう?
確かに人間社会の作る法律というものは、抜け道が多い。それに犯罪とまではいかないまでも、それは人道的にまずいんじゃないの?というものがあり、それを面白く描く映画もある。
しかし、そういうものはやっぱり肯定してしまうと良くないものなんじゃあないの?、だったら、その人物にバチを当てましょう。災い転じて福と為すこともあるけれども、悪い行いは何もかも相殺されるものではありませんよ!というのが古今東西の物語の不文律であったように思う。日本昔話でもそういうもの、あるでしょう?
この風潮は何なんだろうかと思う。逆説的にこのような社会になったんではなかろうか?と揶揄しているのか、それとも、そんなに悪いことではないんだから、許しましょうよ!という作者の考えからなのか?
後者であるならば、一時、「なんで人を殺してはいけないの?」という若者たちの問いがあったように(これは未だにこれと言った大人の回答はないと思うのだが)、この世に善悪の区別はありません。という、名付けるならば“ネオ・アウトローの時代”になったと言えるのかもしれない。
なーんて、最後は茶化してみたけれども、これは憂えることではないだろうか?と思う自分は時代遅れだろうか?
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