カット割りについて
(2009.01.10)

最近、映画の監督をするようになって、映画鑑賞の際、特に意識してはいな
いのだが、カット割りに注意を引くようになってきた。
カット割りは絵画・マンガでの描線のように、クリエイターの意図するもの
が描かれると思っている。まあ、でも、それは本人のこじつけのような場合も
多々あるのであるが…。
昔の映画やドラマを観てると、そのカット割りが(こちらもこじつけもある
のだろうが)多岐多様にわたっていて面白い。カメラの手前に透明のプラスチ
ックかガラスをつけて下から撮ってみたり(そこに人物の手から物が落ちてき
たりする)、なんでこんなに顔どアップにするのというものあったり、照明が
顔半分になってみたり、異様に暗かったり…。
一方、現代のほうでは相対的に真ん中に被写体を置き、平板なカットが多い。
特に邦画。せっかくの映画独特の画面サイズも、そのことによって、あまり意
味がない、テレビのサイズで撮っても同じようなものになっているものもある。
別段、そういうように特異な画面作りをしたほうが良い、というわけではな
い。自分は実相寺昭雄監督が昔、見せたようなテレビではあるが、お得意の小
道具なめの人物カットなどが好きではあるのだが…。
そこまで極端ではなくても、監督(撮影スタッフもそうだが)の、自分の作
品であるという自負の元に個人の独自性を出していきたいと思うほうである。
例え、それが自分本位のものでしかなくても、観るほうにとっては、どうして
こういうカットにしたのだろう?という、いい意味での鑑賞法の選択肢を多く
できて楽しいと思うのである。
ドラマや映画ほど、自由なカット割りができるわけではないけど、現在、撮
影しているドキュメンタリー映画もそういうことを忘れずに監督していきたい
なと思っている。
ドキュメンタリー映画の主人公・関組長のブログ
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